カサンドラ症候群を発症していることに気づいてすぐに別居して、4年目の夏を迎えました。
別居1年目の気持ちから振り返ってきて、『現在』にたどり着きました。
カサンドラ症候群とわかってパートナーと距離を置いたあと、回復までに3年はかかると言われていますが、ちょうどその年でした。
カサンドラ症候群を発症していることに気づいてからちょうど3年たった私の変化を、お話ししたいと思います。
もくじ
「旦那の問題」では終われない
別居して3年間、育児ブログやインスタグラムなどに、夫のアスペルガー症候群のことは直接書かずに「旦那が抱える問題」と書いて、私のカサンドラ症候群のことも隠しながらやってきました。
「なんでふたり暮らしなの?」と聞かれたら、アスペルガー症候群について言うようにしていますが、表向きは「別居という名の単身赴任」なのです。
3年間も「自分の殻」に閉じこもっていました
「旦那が抱える問題だから、あまり人に言うべきではない」
…ただただ、そう信じて、ネット上では隠しながら暮らしてきました。
特定の人しか見ることができないツイッターだけで、ひたすらつぶやいていたのです。
でも、おそらくそれが「自分の殻に閉じこもるきっかけ」をさらに大きくしていたのです。
インスタグラムをしていても、ツイッターをしていても、ブログを書いていても、自分が自分でないような、誰に話しかけても心を開けない、孤独な自分がいたのです。
「私の抱える問題」に視点が変わった時…
ある日、「旦那の問題だから言ってはいけない」と思い続けてきたのですが、「私の抱える問題」までひとりで抱えて、殻に閉じこもって八方塞がりの状態になっていることに気づきました。
「私の抱える問題」を乗り越えるには、カサンドラ症候群であることを人に話して、私自身がなぜこんなに苦しい想いを抱えて暮らしているのかを知ってもらうべきではなのです。
これは旦那の問題じゃなくって、私の問題なんやわ…。
と気づいた瞬間、旦那中心に考えていたこの問題が、一気に自分軸のものに変わりました。
あの人には関係ない、自分の心を立て直すにはどうすれば良いのかを第一に考えるべきだということに、やっと気づくことができたのです。
母親との関係
私自身、カサンドラ症候群だと気づいた時から、毒親やアダルトチルドレンという言葉がどんどん当てはまるようになりました。
HSP(The Highly Sensitive Person)であるということにも気づき、自分自身の特性を受け入れるために、1年間ぐらいは必死で自分自身と対話し続けて向き合っていました。
「完璧主義でもいいんやよ」と部屋を思いっきり片づけて、料理も完璧に仕上げて、家じゅうピカピカにしていました。
自分自身を認め、汚い家に暮らしていたのは旦那が原因だったのだということを全員に認めさせ、自信を回復していたのです…。
「母の入院=恐怖」
最近も入院していたのですが、近所でひとり暮らしをしているため、救急車に乗るたびに呼び出しがかかります。
息子の誕生日や幼稚園の行事もお構いなしで、救急隊の人から電話が鳴るのです。
先日もやっと在宅ワークの仕事が決まり、お仕事をいただけるようになった当日に母から電話がありました。
いつも、何か上手くいきかけた時に、「面会と洗濯地獄に陥る予感」がして、胸騒ぎが止まらなくなるのです。
そして、どんどん疲弊しながら、別居してひとりで子育てしている私のことを、誰も何も許してくれていないのだという、悲劇のヒロインモードにどっぷり浸ってしまうのでした…。
根元裕幸先生の「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」に救われました。
腸が弱い母なので、下痢をして汚れたパジャマを持ち帰ることが多いのですが、臭いが鼻から取れず、どんどん追い込まれていました。
「誰か、助けてよ!!!」と息子が幼稚園に行っている間に、家でひとりで怒鳴り散らしていた時、買ったまま置いていたこの本を、ふと手に取って読み始めました。
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私が勝手な解釈で伝えることは避けたいので詳しくは書きませんが…。
思春期から30年近く抱えていたいろんな想いが「そっか、オカンもいろいろあったんやな。」と思った瞬間、ストンと消えたのです。
あれからまだ1か月ぐらいなのですが、母のことを考えても辛くなくなりました。
皆さんの問題解決につながるかはわかりませんが、私の中ではこれほど大きな影響力を与えてくれた本は久しぶりでした。
どうやってがんばっていたのかが思い出せない…。
母のことを辛く思わなくなり、今までにはないほどの心の穏やかさを感じているこの1か月…。
いろんなことに気づくようになりました。
おそらく、旦那の思考が乗り移っていた部分と、子育てで必死な部分が重なり合っていたのだと思うのですが、幼いころからみんなに「がんばり屋さん」と言われてきた私の完璧主義が崩壊しています(笑)
引っ越したいけど引っ越せない理由
来年、小学校入学を控える息子のために、学校の近くに引っ越したいと考えているのです。
息子の病気のこともあり、毎日往復1時間の通学は大変だろうと思うのですが、なかなか引っ越す気分になれずにいたのですが、その理由が明確になりました。
実は、3年かけてひとりで完璧に作り上げてきた、この家が大好きだったのです…(笑)
「だから引っ越したくないんやわ」と気づいた瞬間、嬉しくて…。
ちゃんと自分のことを認めてあげられるようになっていることが、私の中での大きな変化につながっています。
家も汚くていいんちゃう?
一時期あった完璧主義は、私の中から完全に消えていきました…(笑)
家が汚くても、おもちゃが片付いていなくても、やりたいことが楽しくできてたらエエやんと、思えるようになってきたのです。
今までなら、毎月初めに〇〇と〇〇を交換して、2か月に1回は〇〇と〇〇を掃除して…とルーティンが決まっていたのですが、すべて崩壊しました。
「うわっ!汚れてる!」と思った瞬間、掃除道具を持って来てゴシゴシしているだけですが、それで十分なんやなーと思えるようになりました。
会ってないけど、まぁいっか。
実は半年以上、旦那に会っていないのですが…。
5月の大型連休にインフルエンザになったり、この夏休みも母の入院から始まってバタバタしていたり…。
「ごめんやけど、今は許してー」と思いながら、子育て中の一瞬過ぎる半年間を駆け抜けています。
今までならば、日程を勝手に決められて来られていた時もあったのですが、そこはハッキリと言えるようになりました。
理想は半年に一回ぐらい会うのが良いと言われているので、そろそろ考えようと思います。
自分らしくなれる気がする「これから」…。
私自身、今までの人生の中で、いちばん自分のことを考えた3年間でした。
カサンドラ症候群だとわかった時から物心がついた子どもの頃のことまで、考え続けた3年間でした。
いっぱい考えたから、もういいんちゃう?
と最近になって、やっと思えるようになりました。
一回しかない人生だから
改めて考えると、HSPとして、カサンドラ症候群として、ここまで大切に丁寧に生きてきました。
子どもの頃から、母の幼い頃の苦労話を聞かされ、学生時代はワケのわからん友達に振り回され、結婚したら旦那に振り回され…。
「みんなの笑顔を見ることが私のいちばんのシアワセ」と思って生きてきました。
「いつもつられて笑ってもらえるような笑顔でいよう」と心がけて、福祉の現場に就職したこともありました。
40歳過ぎて壁にぶち当たって考えることは、「そろそろ自分の笑顔を探してみても、エエんかな?」ということなのです。
私が心から笑えるようになることで、息子に同じ想いをさせることはなくなるのだと思います。
「何がしたいかわからない」2年前の私の悩み…
母と旦那にやりたいことをすべて否定され続けてきた私ですが…。
最近、やっと答えが見つかりました。
ひとつに絞る必要なんて、まったくないんやで…
これに気づいた瞬間、旦那の影響をフルに受けていた自分に気づいて、大声で叫びました(笑)
なんであんなに「やりたいこと」を探していたのかはわかりませんが、時間はかかるけど、全部ちょっとずつ続けていけば、いつかは上達するはずなのです。
「ブログでがんばろう!」と決めたのが昨年11月で、他のことは何も考えずに、ブログひとつに集中していました。
ところが3月にグーグルのアップデートで急にアクセス数が減り、転落…。
ショックが大きすぎて、現在5つにブログを増やして、在宅ワークを始めました。
その勢いでビーズアクセサリー作りもかぎ針編みも、収納も料理もパン作りも、歌もピアノも手話もボランティア活動も、全部認めて気になることから順番にしていけば、もっと楽しくなることに気づいたのです。
少しずつ、少しずつ、カサンドラ症候群から抜け出そうとしている別居4年目…。
浮かんだり沈んだりしながら、以前のようにいろんなことに興味を持って、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。