カサンドラ症候群から抜け出すために…。別居3年目は「限界を作らない」

先日、別居2年目の気持ちを振り返りました…。

精神的にはどんどん楽になっていくのですが、体力的にいちばん辛かったのが、実はこの3年目でした。

カサンドラ症候群から抜け出すために、別居3年目は「自分に限界を作らない」と決めたのです。

「やりたいことはなんでもやってみよう」と、興味を持ったことすべてにチャレンジした1年間でした。

そう、息子が幼稚園にいる間、やっとひとりでカフェにも行けるようになりました。

夜型生活から、一気に幼稚園へ…。

3年保育の2年目から息子が幼稚園に通い始めました。

本当は1年目から入園しても良かったのですが、息子の病気のことを考えて、1年見送りました。

…と、表向きの理由は息子の病気になっていますが、別居して1年目は引っ越しでバタバタして、気持ちもまったく落ち着いていなかったため、息子とふたりの暮らしをまったく楽しめていませんでした。

1年遅らせて、ふたりでいっぱい遊んで笑ってから、後悔することなく幼稚園に入園させたいと願っていたのが本音です。

幼稚園への送り迎え

送迎バスがあるような幼稚園ではないため(笑)、毎日、電動自転車で自宅と幼稚園を2往復しなければいけません。

電動とは言え、これがなかなかハードなのです。特に雨の日の電動自転車はものすごいプレッシャーでこぐのですが、カサンドラ症候群で疲れやすい私は、毎日クタクタになるのです…。

少し「切り替え」が苦手だと言われる家に帰りたくない息子と一緒に、遠回りして電車を見に行ったり、帰りに買い物に行ったりした1学期は、それだけでもフラフラの日々でした(笑)

週2回の通院

息子の通院をしながらの幼稚園への登園になるのですが、雰囲気としては、習い事を週2回しているようなものなのです。

それにプラスして、本当の習い事も週に1回しているので、私の中では息子とゆっくり家で何かする時間はほとんどないのです。

帰ってきたら、すぐにご飯を作って食べさせて、お風呂に入れて寝かせるだけ。

土日になると靴を洗って洗濯をしてたたんでアイロンをして、大好きな電車に乗せて、月曜日に穏やかに週明けを迎えることに必死です。

疲れていない日はないぐらい、毎日、ラクしたくて仕方ないと思っていました。




がんばりたいのにがんばれない

別居して3年目でも、カサンドラ症候群と思われるうつ症状は抜けず…。

毎日息子と21時に寝落ちすると、朝3時に目覚めるのです。

日中、眠くて眠くて、私自身がお昼寝なしで夜の寝かしつけまでできることは、まずありませんでした。

がんばって起きていたとしても、洗濯物をたたみながら、アイロンをかけながら、そのままの状態で力尽きて、ふと気づくとすごい格好で寝ているのです。

ここを理解してもらいたくても、誰にも理解してもらえないのがカサンドラ症候群の特徴だと思っています。

この眠さを誰にも言うことなく、外では誰かと話せるだけで嬉しくなって、ついついニコニコしてしまうので、本当にそこまで疲れていることに、誰も気づいていないのだと思います。

私が疲れてフラフラだということは誰にも伝わらないまま、がんばって22時には寝かせるようにしているのですが、「早く寝かせてあげてください」と幼稚園から何度も言われてしまっているのです。

 

母の4回に及ぶ緊急入院…

私の体力的な疲れの最大の要因は、母にありました。

これを書いている現在もまた入院中なのですが、4月、6月、7月、9月と、4回も救急車に乗り、そのまま緊急入院したのです。

誰とでもケンカできる精神状態

市の高齢介護課の職員さんから電話が来て、入院したことを伝えていなかったことをネチネチ(笑)言われ、「私、そのためにここに帰って来たつもりはないんですけど…」と言ってしまったのが9月でした。

「そこまで大事にされて育ってないのよね」と、これまたカサンドラ症候群らしく、そのトラウマに苦しみ続けた、別居3年目でした。

介護うつ寸前でした

母の洗濯物を見るだけで吐き気がし始めたのが4度目の入院の時でした。

消化器系の病気で何度も入退院を繰り返しているので、衣類についた便の臭いがかなり強いのも事実なのですが、私の鼻からその臭いが取れなくなってしまっていました。

息子の看護師さんに「パジャマ借りさせなアカン」と何度も言われたのですが、「入院の時に申し込んでないとアカンねんて」と断固拒否する母…。

「愛されて育ってないのに、なんでここまで縛られなアカンのか?」と、自分自身をどんどん追い詰めていったのです。

 

別居後、初めて倒れてしまいました

ちょうど息子の七五三と重なり、旦那が来て、疲労がピークに達しました。

最初は口内炎ができ始め、ある日、夜中に鼻から喉に向かって大量の膿を出し、それが目にうつって結膜炎に…。そのまま喉に下りて気管支炎になって咳が止まらず、完治まで2か月もかかりました。

そんな妻と息子を置いて帰って行く旦那もどうなのかと思うのですが、そこはもう、あっさり帰ってもらった方が、私自身の回復も早いはずので、何も言いません。

息子も母も同じ病院にかかっていて、自分自身も同じ病院で耳鼻科、眼科、内科と転々としたため、入院病棟に入れなくなったところで兄に丸投げして、やっとパジャマを借りたそうです。

私が病棟に入れるようになった頃には母はすでに退院していましたが、病院に行かなくていいのなら、いつまでも風邪をひいていたいと思ってしまっている自分がいました…。




でも結局、子育てはできてしまうのです

そこまでひどい状態になっても、薬を飲みながら、全部自分でできてしまうのです。

先日、「自分でできてしまう人」と思う記事を書きました。

風邪をひいたぐらいならば、周りに頼るのがややこしすぎて、「しんどい」と言いながらでも、ボーっとしながらでも、全部自分でしてしまうのです。

風邪が治るまでに2か月かかったとしても、それまで融通の効かない夫と暮らしていたために、ひとりでなんとかできてしまうのが、カサンドラ症候群の特徴なのだと思います。

大喜びで母の病院に通うのをやめたそれだけで、息子の幼稚園のお弁当はしっかり作れるようになるし、毎日洗濯もできるし、夜ごはんも栄養のあるものをしっかり摂ることができるし…。

どこまで鍛えられてるねん?と思うほど、ワンオペ育児を貫き通すことができるのです。

追い詰められて「やりたいこと」が見えました

2か月間も回復できないほど体調不良が続いたその時、「書くことにこだわってみようかな」と思うようになりました。

息子が幼稚園でケガをするたび、呼び出されて病院に連れて行かないといけないので、働くことはまだ早いとあきらめていました。

「じゃあ、いつから働くの?自立するの?」という焦りは、この3年間、ずっと私から離れることはありませんでした。

そこで、せめて息子が自分で注射を打てるようになるまでは、家にいてあげたいと思ったのです。

小学校高学年になるぐらいまでは、ブログやWebライティングの仕事を家でガッツリすることもアリではないのかという、ひとつの結論にたどり着くことができました。

まだ、自由な時間は短いために更新頻度も低く、まったく儲からないブログなので、焦りは確かにあります。

でも、まだ駆け出しだから仕方ないと、やっと最近思えるようになってきたところです。

それでも、私の経験を書くことで、もし気持ちが楽になれる人がいるのなら、書いてみたいと思うようになりました。

 

外に仕事に出られる立場になったらまた、「本当にしたいこと」は変わるのかも知れませんが、今の私ができることは、家でパソコンを使って在宅ワークをすることかなぁと思うのです。

今まで自分が好きなこと、得意なことさえわからなくなるほど、夫と母にメチャクチャにされてきた私ですが、ようやくトンネルの出口に立てたのが別居3年目の終わりのことでした。

 

この流れで、次回も別居4年目のことを書きたいと思います。

現在、別居4年目なので、今の気持ちを書くことになります。

夫に対してどんな想いに変わったか、母に対する嫌悪感をどうかき消したのかなど、今の気持ちを書いてみたいと思います。

夏休みに入ったので更新が遅くなりますが、また息子が寝てから、投稿したいと思います。

 




 

 

 

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